きむら ひろみさんの書いた「ダンナがうつで死んじゃった」というエッセイ本を読んだ。
うつ病患者への理解と配慮を強いられる重圧、長期化する看病によるストレス・不安。冷たい言葉を放ってしまったその日、夫は自殺した。
家族の苦悩を包み隠さず語った、患者の妻による手記。
精神科医による解説付き。
何とも後味の悪い本だった。
この夫は一生懸命20年以上会社に勤めてきて、うつで働けなくなると妻に暴言を吐かれて、心が折れて自殺してしまうのである。
この夫婦には二人の息子がいて、中学生の長男も、うつ病の父親とある事で険悪になり無視していた。
父親に寄り添っていたのはまだ小学生の次男だけだった。
妻の乾いた感性
この本には、妻がいかに夫を邪魔に感じていたかが書かれている。
臭い、汚い、早く死んでほしい、地雷原を歩かせたい等…
本当に人なのか?と思うほどの邪悪な言葉の数々に、私は読んでいて気分が悪くなってきた。
妻は夫が死んでくれないかと思うようになる。
そして結果的に、夫が自殺してしまう。
それによって、妻は会社から多額の退職金を貰い、新築のマンションを手に入れる。沢山の保険に入っていたおかげで、夫の死後も金銭的に困ることはなかった。
最後の章は「もう考えないことにする。生きているのは私たちだ。旦那の自殺に負けるわけにはいかない。」という言葉で締めくくられている。
何とも言えない、この乾いた感じ…。
夫が浮かばれないよなあと思った。
なぜ、こうなってしまうのか
パートナーがうつ病であっても、献身的に支える人がいる。
その逆に、この本の妻のようになってしまう人もいる。
私はこの夫の事を思った。
なぜ、彼の人生はこんなふうになってしまったのだろうか?
大手企業に高卒で勤める夫は高給取りで、半年に一回は10日間の長期休暇を取り、家族4人で海外旅行に行っていたという。
新築マンション、こだわった家具…。
10歳以上年下の妻は専業主婦で、何不自由のない暮らしをしていた。
十分すぎるほど恵まれた環境を提供し続けていた夫。
それが、うつで休職して、会社を続けられないかもしれないという状況になると、妻からは役立たず扱いをされてしまう。
これまで夫が20年頑張ってきてくれたことに対しての、感謝やねぎらいはそこには無く、いつまた働き始めて給料を持ってきてくれるのか、という損得勘定しか無かった。
本当に不憫だ。
与え続けることは罪
何となく、これは私のイメージだが、与えすぎると相手がダメになるケースが多いように感じる。
例えばパートナーや子供などを甘やかす事で、自立できない人間になってしまったり、ものすごく我儘で手が付けられなくなってしまう事が多いような気がする。
この本の作者も、「私は若くで旦那と結婚したから何もできない、働けない。だから旦那は早く復帰して給料を持ってこい」という調子で、
夫が働けないなら自分が働いて家族を支えよう、といった気概が全くない。
正直、ここで妻が頑張って自立しようという姿を見せていたら、また変わったのではないかと思う。
でも、夫側が今まであらゆるものを与えてきたから、妻の方もやる必要性を感じなくなってしまい、いざという時に自立への道を踏み出せなかった、というのも分からないでもない。
子供がかわいそう
この本を読んで、作者の妻の方は、きっとこの先も図太く生きていくんだろうなぁと思った。
でも、問題は子供で、長男に至っては10代の多感な時期に、父親と冷戦中に父親が自殺してしまった事は深い心の傷になっているに違いないし
唯一父親に優しくしていた次男に関しても、自分の力では父親を引き止められなかったのだという無力感を抱えて生きていくのだろうなぁと思った。
また、こんな本を出して、子供がそれを読んだら二重で苦しむと思った。
この本には、母親が父親に言った暴言の数々が文字としてはっきり残されているのだから。
子供がこの本を読んだら一体どう思うだろうか、傷つかないだろうか…そんな事を考えることができない想像力の無さが、夫を死に追いやったのではないか?とも感じた。
アマゾンのレビュー欄が救い
★1がめっちゃついてる。
レビュー欄を読んでいたら、こんなに温かい人も沢山いるんだね…人間って捨てたもんじゃねーな。という気持ちになって、少し救われた。
劣等感
この夫はどんな人物だったのだろうか、考えてみた。
亡くなった方の事をこのように想像するのはあまり褒められた事じゃないかもしれないが…
この話を、ただ妻が薄情な人間だった、という事で終わらしてしまうのは違う気がするのだ。
夫は、一生懸命働いてきた。
10歳以上年下の妻、男の子が2人に、新築マンション、大手企業勤務で高給取り、年2回の海外旅行と…、絵に描いたような理想的な家族である。
まさに、人も羨む、といった感じである。
この夫はもしかしたら、とても劣等感が強かったのではないか…?
そんな気がした。
年の離れた妻と結婚して、家庭内では夫の言う事は絶対の、ワンマンな夫だったという。
その関係には、対等なものがないように感じる。
また、妻が何度か「働きたい」と言っても、夫は却下し続けていたという。
妻がお金を稼いでしまうと、家庭内の自分の立ち位置、存在価値が揺らいでしまうように思ったのではないかな…と、そんな気もした。
一見理想的な家庭に見えて、そこには見えないひずみがあったのだろうと思った。
夫は本当の自分、弱い自分を妻にさらけ出すことができなかったのだろう。
あらゆる事は逆なのか?
夫がもっと早い段階で、自分の中の弱さを認めることができていたならば、自殺という悲劇は防げたのではないかとも思った。
自分の優れた部分を見せて、それ目当てでやってくる相手というのは、その優れた部分が無くなれば去っていってしまう。
それであれば、もう最初から何も持っていない自分でいるほうが、出会う人はもっと純粋に自分を好きになってくれる人たちなのではないだろうか。
つまり、物を持っているから幸せになれるとか、人より優れているから幸せになれる、なんてのは全て幻想で、持っているからこそ、それ目当ての物質主義者たちが寄ってきてしまうのではないだろうか。
つまり、多くの人が信じている
ー もっとお金があれば
ー もっと美しければ
ー もっと賢ければ
ー もっと若ければ…
もっと、もっと、もっと別の自分であれば、今よりもっと幸せになれるでしょう、という考えは、本当は違っていて、あらゆる事は逆なのではないだろうか?
そう、ありのままの、何も持たない自分を認めることこそが、
等身大の自分を認めることこそが…
本当の幸せな人生への第一歩なのではないか?
…そんな事を考えさせられた1冊だった。

1