はい。
タイトルの通りです。
よく「他責思考は良くない、デキる人間は自責思考!」とか言われるじゃないですか。
(´・ω・`)
私はあえて…逆を提唱したいッ!!
他責思考でも良いんだ、と…。
他責思考とは
「他責思考(たせきしこう)」とは、自分の失敗や問題の原因を他人や外部の要因に押し付ける考え方のことです。
簡単に言うと、「自分のせいじゃなくて、あの人や状況のせいだ」と考えることです。例)
仕事の締め切りに間に合わなかったとき、「同僚が手伝ってくれなかったからだ」と言う。
テストの点が悪かったとき、「先生の教え方が悪いからだ」と思う。
私は中間管理職時代、「他責思考は良くない!自責思考を心がけろ!」と、よく上司から言われていました。
確かに、何でもかんでも他人のせいにしていると成長できないし、自分がどう動けたか?と振り返るのは、人の成長にはとても大切な事です。
そしてそれが、教科書的には「正解」であることは、誰だって頭では分かっていると思います。
そんな事は分かりつつも、人のせいにしないとやってられない時ってあると思うんです。
それはどんな時かというと、自分の人生が辛くてたまらない時です。
他責思考は心の逃げ場でもある
「自分の人生は、すべて自己責任だ」
というのは勿論正論でしょう。自分の人生は、自分の選択で作られていくのですから。
他責思考で腐っている人間に対して、周りの人はこう言います。
「他人のせいにしていたって、何も変わらないよ?」と…。
でも当の本人は、そんな事百も承知なんですよね。
承知の上で、泣き言言いたいんですよ。こんなに自分は辛いんだ、不幸なんだ、それは親のせいなんだ、会社のせいなんだ、世の中のせいなんだって、愚痴を言いたいんです。
それは感情の吐き出しです。
吐き出さないとやってられない辛い気持ちを、少しでも誰かに分かって欲しいから言っているんです。
そんな人に「あなたが選んできた人生でしょう!」という正論を投げかけて、何になるのでしょうか?
他責思考で愚痴る人は、一度、その辛い気持ちを、受け止めてほしいのです。
私も辛くて仕方がない時は他責思考の人間でしたが「こんなに辛い私の事分かって欲しい!」という心の叫びを、うんうんと受け止めてくれる人がいてくれたら、どんなに良かったか…と、思います。
「辛いよ、痛いよ!」と言っている子供に「おまえが転んだからだろう」と言って、子供の心は癒されますか?
「痛かったね」と言って、そばにいて欲しい…それが子供が望む事なんじゃないでしょうか。
「他責思考は良くない!自責思考を心がけろ!」というのはすなわち「弱音を吐くな」と言っているのと同じであり、とてもむごい事だと思うのです。
他責思考でも良い。自己実現を同時に目指そう
私自身、機能不全家族で育ち、親との関係に悩んで生きてきましたから、親に認められて育つ人がとても羨ましかったです。
親から感情を尊重されない環境で育ってきたため、私が人間関係を築くのが苦手なのは、親のせいだ、と思っていました。
これは他責思考でもありますが……同時に事実でもあると思います。
親は私の感情をじっくりと聞いてくれたことは一度だってなく、愚痴を言ったら「それはあんたが悪い」と言って、いつも否定ばかりしてきました。
そのくせ「うちの子供たちは至極まともに育っている」と近所の人にはアピールするのです。
子供が心の中でどれだけ孤独で苦しくて、死んでしまいたいと思っているかなんて見ようともしませんでした。
そんな環境で育ってきた私は、健全な自己肯定感を育てる事ができずに生きてきたのです。
だから「自分がこんな性格になったのは親のせいだ」っていう言い分も間違ってはいないわけです。
だから、「今の私は親のせいでこうなった!」と思うなら、そう主張したって良いと思うのです。
でも、自分の大事な人生「誰かのせいでこうなった!」と、恨みつらみを言うだけで終わらせるなんて、それこそ勿体ないじゃないですか。
だから「親のせいでこうなった!」と思っていても良いのですが「でも、自分は自分の人生を、自分の力で切り開いていくんだ」と思って貰いたいのです。
そうして、本来の自分の人生を生きれている!と実感できた時に初めて、親の事を許せるようになります。
親も親で、未熟だったこと、未熟ながらも育ててきてくれた事、一生懸命働いて学費を工面してくれた事…そんな別の側面に目を向ける事ができるようになります。
今は「他責思考」でも良いんだよ
人間には、自分の力で良くなっていこうとする力があります。
心理学用語では「レジリエンス」といって「自発的治癒力」「再起力」と訳されたりもします。
他責思考の人は、人や環境など、さまざまな要因によって傷ついてきた人だと思います。
そんな人が、時に愚痴を言いながら、時に人のせいにしながらでも、必死に人生を生きていこうともがいている。
そして、少しずつ回復し、自分のための人生を生きようと決意した時にはじめて、他責思考から自責思考に切り替わる事ができるのではないでしょうか。
そう考えると、他責思考は「自己実現」に向けての過程の一環のように思います。
他責思考の時に、無理に「他責思考をしてしまう自分は、なんてダメなやつなんだ」と思って自分の本当の感情を押し殺してしまうと、それは自分の心をいじめているのと同じことです。
「今はまだ、他責思考をしていたいんだ」と‥‥そんな自分の心を受け止めてあげましょう。
大丈夫です。
自転車でこけて血が出てしまっても、その傷ついた気持ち、痛かった気持ちを親に受け入れて貰った子供が、再び自転車に乗る事に挑戦するように、受け入れられた経験はその人を強くします。
そして、そんな自分の気持ちを受け入れるのは、自分なのです。
周囲に受け入れてもらわなくても良いんです。
ただ一人、あなたがあなたの心を受け入れ、抱きしめてあげるだけで、あなたは強くなり、前に向かって進めるようになります。
そして気づくと、他責思考の自分は過去になっている事でしょう。