与え合うコミュニケーションは素敵

アダルトチルドレン

漫画が少しずつ出来てきております(*^-^*)

ネームの直しとかしてたら、20ページほどになりました。

これを前編後編に分けて発表予定です。

1/20までにはブログにアップできそうな感じです。

漫画を描くのって癒されるし、本当に楽しいです。

でも、他の事が一切できなくなってしまうのが玉にキズですが。


先日は、心理学の学校のお友達3人で、新年会をしてきました♪

そこでAさんが言っていた印象的な言葉があります。

「友人や知人とご飯などに行っても、聞き役に回る事が多く、時には10:0で相手ばかりが話して終了するような事もあって疲れてしまう事がある。

別に、8:2で相手が沢山話していても構わないと思っている。だけど、2くらいはこちらも話したい。会話はコミュニケーションだから。

でも、私が10聞くからこそ、相手にとって私は価値があったのかもしれない」

Aさんは、幼少期から威圧的な父親の元で育ち、常に人の顔色を窺ったり、他の家族に対しても話の聞き役に回る事が多かったといいます。

このように、正常に機能しない家族関係を、心理学用語では機能不全家族、と呼びます。

その家で、一番優しく繊細な子供が、その家族がうまく回るような調整役のような役割を担う事があります。このような存在の事を、専門用語では「IP」と呼びます。

Aさんは、幼少期の家庭環境の関係から常に、「自分は誰かの役に立たないと存在してはいけない」と思いながら生きてこられました。

これが大人になっても、誰かの話をずっと聞いてあげて、相手の役に立つ行動を取ろうとする事に繋がっているのです。

でも、そんな一方的なコミュニケーションは、バランスが崩れていますから、当たり前に疲弊していきますよね。

こんな人に対しては「自分も話しても良いかな?」というふうに自己主張をしっかりするか、それが言えないなら距離を置くという選択を取る方が良いと思います。


心理学の勉強をされる方は、Aさんのように心優しく繊細で、心に何かしらの傷を持って、それを癒そうと努力されている方が本当に多いです。

そんな方が集まる新年会でありました。

このような場だからこそ、お互いに尊重し、しっかりと皆が均等に話せるような気遣いのある会話をする事ができました。

私が心理学の学校に通って感じた「ここは私の居場所かもしれない!」という強い感覚は、人の事を気遣える優しい人たちの集まりであったからだと思います。

自分自身が一方的に話されて疲れ切った経験があるからこそ、相手にもしっかり話題を振ったり目を向ける事のできるコミュニケーションが取れる人が多いなという印象です。

私もそんな場にいると、のびのびできる感覚があるのですね。

奪わず、双方に与え合うコミュニケーションという感じなんです。

このような場から帰ると、とても元気を貰えている自分に気づきます。

会った後どっと疲れる…というのとは真逆の感覚を持てるのです。


私も思い返してみれば、一方的に向こうの話を聞くだけのコミュニケーションが今まで随分多かったように思います。

そんな扱いをされてきているから、私もまた、姉にそのように一方的に話を聞いてもらっていた時期があります。

「当時はしんどかった」と姉に言われて、ハッとしましたね。

誰かから奪われている人は、自分の中の不足する感覚を補うために、もっと弱い人や奪いやすい人から奪おうとしてしまうのですね。

つまり、ギバーは同時にテイカーにもなりうる、という事でしょう。


新年会で会ったBさんの知人のお話(Cさんとします)も聞かせて貰いました。

詳しくは割愛しますが、Cさんもとにかく人に与えて与えて、疲弊している人でした。

努力家で真面目で不器用な人で、周りの人の要求に一生懸命応えようという努力を続けてこられた方でした。

そしてその結果、自分の時間もお金も、どんどん他人に奪われているのでした。

そしてその方は、いつも愚痴をBさんに言い続けて、止まらないのだそうです。

私はこの話を聞いて、本当にCさんが可哀そうになりました。

本来はCさんを守ってくれるはずの家族までもが、Cさんからお金や時間の搾取を続けているのですから。

Cさんは、真面目に努力しているのに、周りにはそれに乗っかって楽しようという人が沢山寄ってきてしまっているのです。

真面目に努力すれば報われる…、耐え忍ぶことは美徳である

そんな考え方が日本には根強くあると思いますが、実際はそのような真面目な人から際限なく奪い続ける人も存在するのですよね。

自分が自分を大事にする事、これ以上は与える事はできないよ、と明確に線引きをする事の大切さを痛感します。


心理学用語で、境界線(バウンダリー)という言葉があります。

これは「他人と自分との境界線」という意味があります。

いくら大切な家族でも、恋人でも、友人でも、入ってこさせてはいけない領域ってあるんですよ。

その境界線を自分の中でしっかり意識する事で、自分の人生を自分自身で舵取りしていけるようになる…と、そう思います。

アダルトチルドレンの方は、相手に何かをしてあげないといけない…という強迫観念のような罪悪感のようなものを持っている方も多いと思うのですが、自分を削ってまで相手に何かを与える必要はないんだよ、という事を意識していっていただければ…と思います(*^-^*)

また、人生とは自分の選択によって作られていくものなので、自分にとって違和感を覚える相手やコミュニケーションからは距離を取っていく、というのも大切な事なのだと思います。

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