はい(´・ω・`)タイトルの通りです。
先日、西洋占星術で占ってもらい、鑑定レポートを頂いたのですが、わりとその結果が散々でした。
ざっくり言うと、私の人生は「ずっと不安定で可哀そう」みたいな事が書かれていました。
その鑑定書を読んだ時、胸の中がモヤモヤと苦しくなってきて、すごく気分が悪くなりました。
占い師さんからは何度も念を押すように「星が悪い」を連呼されました。
うーん…。
そこで私は色々と考えてしまったのです。
人の人生に良いとか悪いとかあるのか…?と…。
人の人生に吉凶ってあるのか?
西洋占星術というのは、いわゆる「命術」と呼ばれるもので、生まれた時からずっと変わらないその人の性質や運勢を占うというものです。
(それに対してタロットなどのカード占いは「卜術(ぼくじゅつ)」と呼ばれ、これは偶然出たものに必然性があると読む占いの方法です)
元々西洋占星術は、国の情勢を占うなど権力者のために使われていたそうです。また、農作物の出来はどうかとか(豊作か不作かとか、飢饉が訪れるか、気候や天候など)にも使われていたと言われています。
なので、そういったものに対して吉凶で見るというのは正しいと思うのです。
ですが、人の人生の良い悪いというのは、その人の心が判断するものであって、他人が良いとか悪いとかジャッジするものではないと私は思うのです。
一般的に悪いとされる事でも、本人にとっては意味がある出来事って沢山あると思います。
私は去年、心の病気で会社を退職する事になりました。
これは一般的に見たら不幸な出来事だと思います。
でも私自身は、この事を不幸な出来事とは捉えていません。
むしろ、その出来事があったおかげでYouTubeを始めたり、心理学を学ぼうと思えたし、資格を取る事もできましたし、本来生きるべき道、もっとのびのびとした自分らしい道に戻れた…そんな感覚すら持ったのです。
人の人生に安直に良い悪いを突きつける占い師は、何様なんだ?と思いましたし、そういう占い方法に対して強烈なアンチテーゼを持ちました。
人生は決まっている?
占星術の考え方として言われるのは、人生の6~7割ほどは元々決まっている、というものです。
私はこの考え方を否定しません。
むしろ、正しいとすら思っています。
特に肉体や頭脳、身体能力などは生まれ持ったものでほぼほぼ決まってきます。
生まれた家がお金持ちかそうでないか、家庭環境なんかもありますね。
例えば、身長が高くなければなれない職業、視力が良くないとなれない職業があります。
知性が要求される仕事、体力が要求される仕事、器用さが要求される仕事、愛嬌が要求される仕事…数え出したらキリがありません。
人には一人一人生まれ持った特別な才能があるんです。
それをどこで生かしていくのが良いのか、という事だけではないでしょうか?
例えば身長が低くて小柄で知能が高い人がいたとします。
その人はバスケットボールの選手にはなれないでしょう。
でも将棋の棋士にはなれるかもしれませんよね。
そういう事だと思うんです。
その人がバスケットボールの選手を目指すなら、確かにそれは困難な人生になるでしょう。
でも将棋の棋士を目指すなら、楽しくスムーズな道になるかもしれません。
まぁ、これは分かりやすい例ですが、世の中にはこんな事はたくさんありますよね。
自分に適さないフィールドで無理に頑張ろうとする事。
会社勤めが性に合っていないのに無理して会社勤めするとかね。
生まれ持ったホロスコープは、可能性を示してくれているものでもあるし、ある意味で限界を教えてくれているものだとも言えるでしょう。
自分に合う場所で生きていけば良い、最近私は本当にそう思うようになりました。
人と繋がって助けて貰えば良いんですよね。
自分の星がハードモードでも、それこそ星の相性が合う人に出会って助けて貰えば良いだけの話なんですよ。
人生どうにかなります。
占い師は言葉に責任を持つべきだ
生まれ持った星で人生の6~7割が決まっているとすると、もちろん手持ちのカードが弱いって事もあるわけで、それを不幸と言ってしまうのは簡単ですが、それを相談者さんに伝えてその人の人生に暗い影を落とすのは果たして正しいのか?という疑問が浮かんできます。
友達に言われるのと占い師に言われるのは、言われた側の気持ちは全然違いますからね。
ちなみに、私は鑑定書で何か書く時は必ずその根拠となる星の配置も書くようにしています。
そうじゃないと言われた方は不安になると思うからです。
少なくとも私は今回の悪い事が書かれた鑑定書で、根拠となる星の配置が書いていなかったのでどこをどう読んでこの鑑定書を書いたのかよく分からず、ただ不安や不快感だけが残る結果になってしまいました(´・ω・`)
星が書いてあれば、私はこの星をこう読む…といった再鑑定が自分でできるのですがね(`・ω・´)
「鑑定力は人間力だ」
とも言われます。
鑑定する相手は人間で、その人にはこれからも続いていく人生があるのです。(農作物じゃないのよ!)
占い師がその人の人生を応援こそすれ、悪い鑑定でその人の気力を奪うのは論外でしょう。
相談者さんは、占い師の事を信頼して生年月日という個人情報や、相談内容を伝えてくれているわけですから、占い師側も誠意と愛をもって向き合いたいなと思いますね(*^-^*)
心理学観点での「人間観」
来談者中心療法を提唱した心理学者、カール・ロジャーズは、全ての人は自分の持っている潜在的な能力や自分らしさを発揮しようとする力があると述べています。
専門的な用語では、これを「実現傾向」と言います。
私は心理学の学校でこれを学んでから、ホロスコープの読み方に変化がでてきました。
吉凶の判断ではなく、その人の潜在的な能力を自覚して貰い、より発揮できるように促すようなホロスコープリーディングができるようになれたら良いなと思いました。
占星術の本には、確かにこの星が悪いとか吉凶とか品位が悪いとか、なんとも散々な表現が多く、私も占星術を学びたての頃はそういう読み方が正しいのだと思っていたのですが、心理学を学んで考え方が変わりました。
自分に与えられた星を最大限活用して、自分らしく生きる事が素晴らしい人生なのだと思います。
吉凶というのがそもそも比較からくる考え方だと思うのですが、自分らしく生きる事に比較という概念は存在しませんよね。
だって自分はこの宇宙でたった一人で、かけがえのない存在なのですから…。
自分の人生を大切にするように、目の前の人一人一人の人生を応援したい。
私は心からそんな風に思います。
今回の出来事がもたらした「意味」
悪い鑑定書を読んだ時は、正直イヤ~な気分になったのですが、その鑑定書のおかげで逆に自分の鑑定への姿勢が定まったような気がします(*’ω’*)
私は人の可能性を信じ、それを花開かせるような、そんなリーディングがしたい!と。
そう強く思ったのです。
今回の出来事は、ショック療法的な出来事だったように思いますね。
「人生上で起こる事は、全て星に記されている」
というのが占星術の考え方です。
星は宇宙の神々です。
私は、星が私たちにもたらす物事には全て意味があると考えています(*^-^*)
ただ、それは人の考える良い悪いを超越しているため、私たちは悩み苦しむのでしょう。
でも、それが宇宙の意思だと思うと、私たちは宇宙の中の一部だと気付く事ができますし、私はそう考えると深い安らぎを感じるのです。
宇宙の考える良し悪しは、私たちの価値観と一致しませんし、そもそも宇宙には良し悪しという概念はないのでしょうね。
そう思うと、自分の運命を受け入れる生き方は自然な事かもしれませんね。