大好きなおばあちゃんが亡くなって、お通夜とお葬式があった。
昨日お葬式が終わって、実家から大阪の家に戻ってきた。
良かった事は、おばあちゃんをしっかりと看取ってあげられたことだ。
ずっと入院していたおばあちゃん。
私とお姉ちゃんを、いつも大事に愛してくれたおばあちゃん…。
最後の4ヶ月は病院に入って、寝たきりの生活をしていた。
私と姉がお見舞いに行ったのは今週の月曜日だ。
おばあちゃんの意識はもう無く、目も焦点が合っていなかったが、お医者さんはあと一週間くらいは大丈夫だから今夜は家族の方は帰っても大丈夫ですよと私たちに言った。
両親は医者の言葉を受け止め、もう帰ると言って先にエレベーターに向かっていた。
私はおばあちゃんと離れるのが名残惜しく、しばらくベッドの脇に立っていたが、両親を追わないといけないためベッドに背を向けた。
するとその時、おばあちゃんがうめくような声を上げた。
私はおばあちゃんの顔を見にもう一度ベッドに駆け寄った。
その顔は何か言いたげなようにも見えた。
私がいない事に気づいて、姉が私を連れに病室にやってきた。
私は姉と一緒に病室を出ようとした。
するとその時、おばあちゃんがまたうめき声をあげたのだった。
意識の無い病人がうめき声を出すという事は、珍しい事ではないのかもしれない。
だが、私はその時直感的に引き留められているのだと感じた。
もう一度おばあちゃんの顔を見てみると、拗ねたような表情をしていて、私は、元気だったころにおばあちゃんはよくこの表情をしていたと思い出した。
おばあちゃんは優しくて甘えん坊で寂しがりで涙もろかった。
寂しい時にはよく、拗ねたような表情をしていた。
私は、今、おばあちゃんは寂しいのだろうと思った。
(寂しいがな~)というおばあちゃんの声が聞こえたような感覚がした。
これはおばあちゃんの最期のお願いなのだと思った。
私は病院に残る事を決めた。
その旨を両親に伝えると、両親はしぶしぶ了承してくれた。
姉も一緒に残りたいと言ったので、私と姉二人で病院に残った。
今週のタロット会の予定などはリスケさせて貰った。
これほどまでに仕事を辞めて良かったと思った事はないかもしれない。(今までの激務の状況ではおそらく私はこの日帰宅していただろう)
そしてその夜、おばあちゃんの容体は急変し、看護師さんが私たちを呼びに来てくれて、私とお姉ちゃんがおばあちゃんの手を繋ぎながらおばあちゃんは天国に旅立った。
おばあちゃんの表情は、もう寂しそうではなかった。
すぐに両親に連絡をし、両親も車を飛ばしてきたが…両親は間に合わなかった。
両親が来てから医者は心拍数を測る装置を止めた。
医者の説明を聴きながら、私はおばあちゃんを見ていた。
おばあちゃんの白い髪の毛は、天国に行くのに似合っていると思った。
なぜ人の髪の毛は白くなっていくのか、というのは天国に行く準備をしているのかもしれないなと思った。
死を悲しいと思わなかった。
むしろやせ細って食べ物も受け付けず点滴を続けて寝たきり生活をするしかない、不自由な肉体からの解放に思えた。
おばあちゃんお疲れ様でした、と思った。
昼の面会時…おばあちゃんが生きている時に、おばあちゃん大好きと、おばあちゃん頑張ったねと、おばあちゃんお疲れ様でしたと何度も伝える事ができて良かった。
おばあちゃんは私とお姉ちゃんのことを無条件に愛してくれた。
無条件の愛情をくれたことが、どんなに私の心の救いになったことか…。
私が両親から与えられたのは、条件付きの愛情だったから、私は家にいる時もずっと寂しかった。
だけど、おばあちゃんとお姉ちゃんの存在が救いになっていた。(二人とも魚座だ🐟)
おばあちゃんとお姉ちゃんがいたから、私はこの年齢まで生きてこれたのかもしれないなと思った。
私が精神的に大人になって、しっかり自分の足で生きていこうと思えるようになったのが去年だ。
親のための人生じゃなく、自分の人生を生きていこうと思ってから、やっと生きる希望が見えてきたのだ。
私が自立するまでおばあちゃんは待っていてくれたのかもしれない。
おばあちゃんは昨日、棺の中のたくさんのお花と共に行ってしまった。
だけど不思議と、私は今も側におばあちゃんが居てくれている気がする。
温かいような感じだ。
それなのに、涙がずっととまらないのはなんでなんだろう?