ちょっと気持ち的にSNSを見れなくなってしまい、5月末ごろからずっとXを見れていません(´・ω・`)
また落ち着いたら、動画の告知もしたいのでログインしようと思いますが。
4か月もXにログインしない、という事は初めてでした。
というか、今まではむしろ依存症みたいにしょっちゅう覗いてたくらいです。
でも、Xをしなくなって、毎日かなり快適になっている事に気づきました!
SNSを毎日見続けるって、もしかしたら結構なストレスを脳に与えているのでは?って思いました。
しかも、最近のXってインプレゾンビが沸いたり、興味がないツイートが流れてきたり(だいたい負の感情のツイート)自分でコントロールできない部分も多いじゃないですか。
なんだか快適さがないなぁというのが、最近のXへの正直な感想です。
漫画を描いたり、YouTubeをしていくっていうのは、自己表現の一種だと思います。
そして、自己表現とは文字通り、自分を表現する事です。
そこには、綺麗なものだけじゃなくて、本来は人に見せたくないような、恥ずかしくてみっともない自分もいます。
YouTube運営は、それを勇気を出して出し続けていく、という事だと思います。
YouTubeは、チャンネル開設した人の9割が、1年以内には辞めていくプラットフォームであると言われています。
事実、私も実際やってみて、YouTube運営はかなり難しい事だなと感じます。その分楽しいですが。
で……
思うのは、自己表現を続けていくには、自己肯定感が絶対的に必要なんですよ。誰が何と言おうと、自分は自分の作品を良いと思えるパワーと言いますか。
正直、それがないと創作なんか続けていけないです。
もちろん、私の中にもそれはあります。私は、自分の作品が好きです。
でも、それって、すごく不安定なものなんです。私は創作で世間的に認められたり、成功している人間じゃないので、自分の中に燃える炎のみが頼りなんです。
もちろん、YouTubeに頂くいいねや、嬉しいコメントなどで、その炎が勢いづくのですが。
でも、同時に、批判的な意見などを見てしまうと、急速にその「自分の作品を信じる心の炎」って小さくなってしまいます。
そうなると、もう作品作りができなくなってしまうんですね。
創作もYouTubeも、両方とも非常にパワーのいる事で、それをしっかり続けていける環境を整えないと、自分が潰れてしまう感じがあるんですよね。
誰に相手にされなくても、一人で狂いながら踊り続けるパワーといいますか、そういうタフさが自己表現には必要なんだよなぁと思います。
Xは、あらゆる人の意見が洪水のように流れてきて、私の心の中の炎が消えそうになってしまう時があります。
Xを辞める事は考えていないのですが、あくまでも【告知用】としての運用をしていこうかなぁと思っています。
私は性格的に、すごく人の目を気にしてしまうところがあるので、あまりXには浮上しないようにして人の意見をシャットアウトするほうが、前向きに創作活動や、YouTubeなどの自己表現活動をしていけるような気がしています。
このような考えに至るまでは、創作活動やYouTube活動をしているのなら、当然のようにXの運用にも力を入れていくべきだと考えていたのですが、Xを見る事で創作の手が止まってしまう事が一番良くない事だと思うので、今後はあまり見ないようにしていこうかなと思います。
ある意味、自分の限界が見えた感じがします。
色んなことを全部やろうと思いすぎていたのかなと(´・ω・`)
それに気づけたから、今回の「Xを見れなくなった」という出来事は、ある意味良かったのかなと思います。
無理なく楽しく、占い&創作活動を続けていけたら良いな~って思いますね(*’ω’*)